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Cast introduction

ホーム – 河東優

河東優

 
 
河東 優 ~Yu Kato~

 
 
「ファインプレーでなく堅実な守備を」
 
    苦しみながら導きだした

       河東流、アナウンサー道

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アナウンサー5年目を迎えている河東アナウンサー。
ベースボールプランニングでエース級の活躍を見せていますが、人知れず悩み苦しんだ時期があったといいます。
葛藤する日々を、どのように乗り越え、今を迎えたのでしょうか。

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学時代に局アナを目指し就活するも叶わず、一度は会社員へ。約3年のサラリーマン生活を経たのち、「自分の気持ちに正直に、好きなことを仕事にしたい」と、場内アナウンサーを目指し、ベースボールプランニングのアナウンサーアカデミーへ入学しました。

アナウンスデビューは2017年、東京ヤクルトスワローズの二軍キャンプ中の試合での場内アナウンス。アカデミー卒業直後でした。同じ年に女子プロ野球のスタジアムDJとなり、それから2年間担当しました。最初からプロ野球という世界でアナウンスができるなんて、とてもありがたかったのですが、いきなりの晴れ舞台に、長い間、プレッシャーに苦しみました。今だから言えますが、正直、辛かったですね(笑)
ナウンサーとしての道を順調に歩み始めたように見えるからこそ、逆に生まれた苦悩。辛さを必死に受け止めた先に、一つの答えを自分の中に見出します。

場内アナウンスって、単にメンバー表を読み上げるだけでなく、お客様への注意喚起や案内など、臨機応変な対応も求められます。ここにショーアップ要素が加わるプロ野球の場合は、イベントMCとかヒロインインタビューなどが加わります。さらに女子プロ野球では、アナウンスの演出全てを任されました。つまり、その場が盛り上がるか否かは、僕の裁量にかかっているといっても過言ではない状況だったわけです。そりゃあもう、毎回、頭の中はパニック(笑)、現場へ行く足取りは回を追うごとに重くなっていきました。
 
足取り重く現場へ向かっていたある日、『自分ができることをする、それに徹すれば良いだけ。できないことまでやろうとするから辛いんだ、何をひとり気負っているのか』と思えたんです。今から思えば、常に力量以上のパフォーマンスをしなければ期待に応えられないと思い込んでいたんですね。そんな思いが沸いた途端に、まるで厚い雲の合間から太陽の光が射してきたように吹っ切れて。それからは気持ちに余裕ができたんでしょうね、場の状況に反応できるようになり、純粋に現場を楽しめるようになりました。そこに思い当たるまでに、一年半くらいたっていましたね。
子プロ野球のスタジアムDJを2シーズン務めた後、その経験を糧に、次のステージへと活動の場を移します。

現在は、野球独立リーグ・ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスと関東サッカーリーグのブリオベッカ浦安の専属アナウンサーをさせて貰っています。ありがたいことに3シーズン目に入りました。
昨年の2020年ドラフトで、栃木から石田駿投手が楽天育成1位に指名されました。この日を願って日々アナウンスしていますから、指名された瞬間は我が事のように嬉しかったですね。でも、さらに嬉しいことがあったんですよ。シーズン報告会で、ドラフト指名選手として彼が挨拶した時に、ファンの前で『河東さん、ありがとう。河東さんのアナウンスが一番格好いいです。』なんて言ってくれたんです。
 
栃木も浦安、どちらも心の底から大好きです。選手と一緒に喜び、悔しがる僕は、一番近いファンであり、チームの一員でもあると自負しています。石田選手のあのひと言で、チームもそう認めてくれているのだと確信できたし、だからこそ、今も僕にマイクを握らせてくれているのだと思います。
 
決して、派手なマイクパフォーマンスはしません。というか、できません。ただひたすらに背伸びせずに自分のできること、やるべきことをしっかりやってきました。求められていることはファインプレーじゃなく、堅実な守りだと思いますよね。
 
それも、女子プロ時代があったからこそ気づいた、僕のアナウンサーとしての原点です。あの2年間は、僕を確実に成長させてくれていたのですね。
木や浦安での経験で、アナウンサーとして自信を深めることができ、いよいよアナウンサーとして確固たる礎を築けるかと思っていた矢先、新たな苦難が待ち受けていました。
 
2球団専属アナウンサーの経験を買われ、実況やイベントMCの仕事をどんどん頂けるようになってきたこともあり、2019年は、アナウンサーとして自信が持てた一年となりました。“よし、この勢いで仕事を軌道に乗せるぞ!”、そんな意気込みで迎えた2020年でしたが、新型コロナの影響で脆くも崩れ去りました。仕事は激減。自粛生活を余儀なくされ、悔しいやら悲しいやら。勝負の年だと思っていただけに、落ち込み方も半端なかったですね。
び辛い時期を迎えた河東さんは、会社員との二足の草鞋を履こうと決意します。もちろん、それは、アナウンサーとして先を見据えた上での決断でした。
 
アナウンサーは、やらせてもらえる以上、一生続けたい仕事。歳ごとの表現方法があるし、いくつになってもできる仕事だとも感じています。いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。
新型コロナの感染拡大が落ち着いても、以前と同じ仕事量に戻るには2,3年はかかると僕なりに見込んでいます。そこで、今年から一旦、会社員との二足の草鞋を履くことにしました。新たな出会いがありましたし、改めてアナウンサーという仕事が好きになりましたし、アナウンサーを続けるためのベストな選択だと思っています。
必ずまた、この仕事一本で勝負できる時が来るはず。それまで、現状の中で精いっぱいがんばろうと思っています。

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アナウンサーの醍醐味について、河東さんはこう答えてくれました。
「自分のひと声で、場内にいる人々の振舞いや心を動かせるところ。ある意味、場を支配しているところ」と。
一方で「違和感なく、人々の印象に残らないアナウンスが理想」とも語ってくれました。
このバランス、難しいと思いますが、彼が持つこの繊細さが、チーム専属のオファーが途切れない要因なのだとも思いました。

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