Cast Introduction
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稲垣 碧 ~Midori Inagaki~
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アナウンサーでありながら、本業は役者という稲垣アナウンサー。
10年間役者活動を経た2年前、東京から北海道へ移り住み、現在は、札幌で一緒に芝居ができる仲間を開拓しているそうです。
現在は、二児の母として育児に奮闘中という環境下で、できる仕事を確実に積み上げていきたい、と話します。
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―役者としてのキャリアが12年もある稲垣さんですが、音楽活動に没頭していたそうです。
高校の指定校推薦で大学へ進学したものの、どうしても水が合わず体調を崩してしまい、やむを得ず中退。
その後、幼少の頃からピアノを習っていたこともあって、クラシック寄りのカリキュラムのある音楽の専門学校へ入りなおしました。学校では声楽も学べ、オペラに挑戦したり、いくつかのバンドボーカルとして活動したりしていました。作曲家活動をしている友人がコンペに応募する時に提出するデモテープのボーカルを務めたりもしていました。
―役者を目指したきっかけは、師匠と呼べる人との出会いから。
バンド仲間の一人が、声優に興味ある、一緒に学校へ行かないかと誘われ、私ももともと声優にも興味を持っていたので誘いに乗ることにして。いくつか学校を見学した中から選んだのは、小さな私塾。その私塾を主宰していたのが、のちに師と仰ぐ人で。その師匠の勧めで芝居を勉強したことがきっかけです。まさか自分がここまでのめり込むとは思いませんでした。
師匠とはお酒の席でよく話を聞いてもらいました。『才能ないと思う』なんて弱音を吐くと、いつも『お前なら大丈夫だよ』と言ってくれていました。その言葉を信じて続けてこられたのかな、と思います。
役者デビューは25歳のとき。テレビドラマに出演することもありますが、メインは舞台です。舞台役者って何かとお金がかかるので、20代の頃はいつもお金がなくて貧乏生活してました。神奈川の実家が送ってくるお米を炊いて、マヨネーズとコショウをかけたご飯だけで何日もしのぐなんてことがしょっちゅう。でも親に頼りたくなくて、いくつもアルバイトを掛け持ちしてました。そんな生活が3,4年は続きました。今は、あのときのような生活をしろと言われても、もうできません(笑) 若かったからできたのでしょう。辛かったけれども充実していた20代、そんな感じです。
舞台中心の私の場合、良い部分を切り取って流す映像とは違い、お客さまの反応がダイレクトに感じられるところが醍醐味だと感じています。開演前に舞台の袖から、その日のお客さんの雰囲気を感じ取るわけです。楽屋で『今日は温かいお客さんが多そうだよ』とか『今日は手強いかも。ひるまず行こう』などと話したりしていましたね。本来は笑わせるはずのセリフなのにお客さんが無反応だったりすると、秘かに傷つくんですよ(笑) 要するに、舞台は生もの。そこが何よりの芝居の魅力ですね。
―どこから場内アナウンサーの道へ
野球は小さな頃からずっと好きで。野球観戦にしょっちゅう出かけていましたし、夏の甲子園など、高校野球中継もよく見ていました。アルプススタンドから応援する高校生に憧れて、楽天のクローザー松井祐樹投手の母校でもある、神奈川県の桐光学園高校に進学したくらいです。もちろん、私の方が先輩ですよ(笑)
残念ながら、夏の甲子園へは行けませんでした。県大会の決勝で二度、横浜高校に敗れ、あと一歩のところで甲子園を逃しました。でも、センバツには出場、アルプス席から声援を送ることができました。全校応援という形で大応援団を組んでバス移動で甲子園へ乗り込むのですが、それがちょっとした修学旅行のようだったことを覚えています。
それにしても、やはり甲子園球場は特別な場所でした。県大会で横浜スタジアムでの応援を経験していましたが、空気感が違うというのか、これぞ聖地、という感じでしたね。
私はベースボールプランニング東京校二期生です。役者をしながらも、野球に携わる仕事がしたいという気持ちがずっと頭の中にありました。といっても、球場に勤めれば良いのか、球団に入れば実現できるのか、そもそもどういう仕事があるのかさえわからず漠然としていたのですが。でも、ずっと気になっていました。やがて結婚して一人目の子を出産する頃に、偶然、アカデミーの存在を知って。『そうだ、ウグイス嬢がある!』と。それから
―アナウンサーとなって6年、コチラの仕事も充実しているようです。着実にキャリアを積んでいる稲垣さんの、役者人生、アナウンサー人生のこれからは。
アナウンサーをしていて楽しいです。現場は草野球大会や高校野球など、多岐に渡ります。私の場合、いかにお客様のご要望に応えられるかにこだわっています。プロ野球風とか、高校野球風とか、高校野球でも甲子園風になど、依頼主はその雰囲気を味わいたくてオーダーされるのですから、存分に楽しんで頂けるよう精一杯アナウンスしています。
以前、藤生先生から『音響にも強いね』と言って頂いたのが嬉しくかったですね。私自身、特技とは思っていなかったのですが、登場曲の編集など、割と易々とこなせるのは、音楽を勉強してきたが生きているのかもしれません。こんな風に、役者、アナウンサー、互いの仕事を互いに生かせられるようにしていけたらいいですね。
今は、札幌で芝居ができる劇団を開拓中です。現在、上の子が小学2年、下の子は4歳と、子育て真最中でもあるので、もうしばらくは、子育て中心に仕事を続けていこうと思っています。もちろん、アナウンサーの仕事も続けます。将来像を決めてしまわず、どちらの仕事も、頂いた仕事を一つずつ丁寧にやり遂げたいと思っています。
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インタビュー中、苦労を何もしてこなかったかのように淡々と語る口調が印象的でした。
クオリティ高い物を常に求められる役者という職業柄なのでしょうか。
慣れるまでの苦労や、現場での臨機応変さなど、アナウンサーの現場での苦労もあるでしょうが、『求められたら、それに応えるだけ』というプロフェッショナルな考えが根本にあることを感じました。