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Cast introduction

ホーム – 鈴木絢捺

鈴木絢捺

 
 
 
鈴木 絢捺 ~Ayana Suzuki~

 
 
「人として成長できた高校野球部3年間が、
 

     アナウンサーとしての私の礎」

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「プロのアナウンサーになろう」、そう決意して会社を退職、目下、キャリアを積むべく奮闘中の鈴木アナ。
いばらの道を選んだ芯の強さは、何人ものプロ野球選手を輩出している、愛知県の野球の名門、豊川高校野球部での3年間で培われたものでした。

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学時代までの鈴木さんは、これといって熱中できるものがなく、大人しいタイプの子供でした。
高校入学を機に一転、誰よりも野球が大好きに。

豊川高校は、高校球児だった父の母校でもあるんです。
入学直前の春休み、豊川高校がセンバツ出場するというので、父に誘われて甲子園球場へ応援に行きました。それまでの私は、野球のルールも知らず、「これから入学するから、まあ見に行ってみようかな」くらいの気持ちでした。ところが、球場へ足を踏み入れた瞬間、私の運命が変わったんです(笑) プレーする選手たちの、なんて眩しいこと。アルプススタンドの一体感も楽しかったですし。その上、前年秋の神宮大会ベスト4という対戦相手に、逆転勝利。試合が終わる頃にはすっかり野球に心を奪われていました。父はそんな私の変わりようが嬉しかったようです。
っかり野球の虜になった鈴木さんは、野球部の門を叩き、マネージャーに。
そこでの3年間は、今でも心の支えとなるような出来事でいっぱいだったようです。

野球部には『走姿顕心(そうしけんしん)』というスローガンがありました。
捉え方はいろいろありますが、うちの場合は『最後まで諦めるな』、『何事も全力を尽くそう』 などの意味合いで掲げていました。その教えが根付いているチームだと思います。校歌斉唱ひとつとっても、手を後ろで組み、天に向かって全力で歌うのが伝統でした。
 
今でも心に残っているのは、3年夏の高校最後となった試合です。相手は、愛工大名電高。
強豪校だけに応援もすごかったし、その迫力に押され点差がついて最終回に入りました。あっけなく3アウトで試合終了となりそうな流れの中、打席に向かうキャプテンがベンチを振り返って『このまま終われない、待ってろよ!』と、力強く叫んだのです。そしてその打席でホームラン! 負けはしましたが、劣勢の中で気を吐くキャプテンの姿に、私も部員たちも、どれほど勇気づけられたか。走姿顕心の精神そのものでした。
員からの影響を受けただけでなく、鈴木さん自身も野球を通じて成長できたといいます。

中学までの私は、どちらかというと前に出ることが苦手で、自分の意見を言わず、いつも、ま、いいか、で済ませるタイプでした。同期のマネージャーは、キビキビと動く人で、自分とのあまりの違いに、入学当初は、劣等感しかありませんでした。そんな私でしたが、走姿顕心の精神で野球に取り組む部員の姿を見ているうちに、少しずつ変わってきました。
 
ある日、はじめて試合のアナウンスをしたときのこと、普段はメチャクチャ厳しいコーチが、グラウンドから私に向かって腕で大きな丸を作って褒めてくれたんです。それを見て、自分にできることを見つけた!
そんな思いにかられたことを覚えています。それからというもの、仲間とともに走姿顕心の精神を以て何事にも取り組むようになったと感じています。
校卒業と同時に地元の信用金庫に就職、社内の軟式野球部マネージャーをしながら業務をこなす日々でした。そんなある日、ベースボールプランニングと出会います。
 
父とテレビを見ていたら、偶然、ベースボールプランニングが、テレビ番組のマツコ会議に出ていたんです。思わず父と『これだ!』って叫びました(笑) 番組を見終わるや否や「アナウンサーの募集はしていませんか?」と問い合わせ、アカデミー名古屋校へ入学しました。高卒2年目の2019年冬のことです。
 
カデミー修了後の社内オーディションに受かり晴れてキャストとなれたことで、これからはプロのアナウンサーとして生きていこうと決意、銀行を退職しました。アナウンサーに邁進したくて実家を出て、便利な名古屋で一人暮らしも始めました。父は寂しかったと思いますが、私の気持ちを尊重して実家を出ることを許してくれました。
い決意を伺えますがた鈴木さんですが、プロの世界の洗礼を受けたといいます。

さっそく、そのシーズンの女子プロ野球を担当させてもらえましたが、会場を盛り上げるアナウンスに苦労しました。会社の中でもベテランのスタジアムDJの先輩とコンビを組むので、余計に差が出てしまい……。関係者のみなさんは、駆け出しの私によく辛抱して付き合って下さったと思います。プロの世界はこれほどまでに厳しいものなんですね。
 
女子プロを担当することになったことを、父はとても喜んでくれました。アナウンスする試合はいつも観に来てくれるほどでした。でも、だからこそ、当時の私の不安や愚痴を父には言えませんでしたね。それでなくても一人暮らし、これ以上心配をかけたくなかったので。
不安を払拭できたのは、高校時代の先輩が話を聞いてくれたからです。話を聞いて貰っているうちに、仲間の“走姿顕心”の精神で野球に打ち込んでいた姿が蘇ってきました。不安になるたびに『やるしかない!』と、呪文のように自分に言い聞かせて何とかシーズンをやり遂げることができました。
身を鼓舞してやり抜いた一年目でしたが、現在は昨年からの新型コロナの影響で、現場へ出ることが少ない状況が続いています。それでも鈴木さんは、前を向いています。

今は、少しでもスキルを上げて次のために準備をしていく期間だと気持ちを切り替えています。例えば、録音していた自分のアナウンスと、アーカイブ配信などの先輩方のアナウンスとを聞き比べたりして、『自分は、慌てて喋っているな』などチェックしています。
アナウンサーとして歩き始めたばかりですが、一分でも一秒でも長く、野球に携わっていきたいと思っています。そして、これまで私を支えてくれた家族や高校時代の監督やコーチ、仲間たちへ立派なアナウンサーになって、恩返しがしたいです。

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鈴木さんにアナウンスしてもらえる選手たちは幸せだろうなと思えるくらい、鈴木さんの野球へのまっすぐな気持ちが伝わってきました。一日も早く、当たり前に野球の試合が行われる日々が戻りますように。

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