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Cast introduction

ホーム – 佐藤久実

佐藤久実

 
 
 佐藤 久実 ~Kumi Sato~

 
 
 キャリア25年余、

     ベテランとなり、
 
       なおも挑戦し続ける

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場内アナウンサーという職業が注目されるずっと前から、マイクを握ってきた佐藤さん。
アマチュア球界を支えてきた功労者の一人といってもいいかもしれません。
現在も、活躍の場を広げながら、野球界を盛り上げています。

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いキャリアを持っているだけに、純粋に、どのようにアナウンサーの道を極めてきたのか、今日までの道のりに、とても興味があります。

「本格的なアナウンサーデビューは、大学2年での夏の甲子園予選となる大阪府大会です。もう25年以上前になります。
当時、大学野球部のマネージャーをしていて、リーグ戦ではアナウンスをしていましたが、父の影響で高校野球の虜だった私は、野球に携わる何かがしたくて『そうだ、場内アナウンスだ!』と。監督に相談したら口をきいて下さり、大阪府大会でアナウンスをさせて貰えることになったのです。それ以来、春季大会や秋季大会でもマイクを握らせて貰えるようになりました」
 

「あの頃は、場内アナウンスを教われるスクールなどなく、大学のマネージャーの先輩から貰ったマニュアルと、

球場で聞くアナウンスを手本に独学しました。
私の中で、場内アナウンスといえば、やはり甲子園。大学4年生から2年間、阪神タイガースのマスコットガールをしましたが、試合開始一時間程で仕事が終わるうえ、入場券を頂けたので、毎回、試合終了まで球場に残り、ウグイス嬢から発せられるセリフやイントネーション、発声の仕方まで、必死に聞き込みましたね」

力しながらキャリアを積み、徐々に居場所を確立していった佐藤さん。現場でのたくさんの思い出があるようです。

「私が大学4年生の頃は、就職氷河期。どうやら希望する企業へ行けそうもないなと感じ、就職せずに大学を卒業、それから6年間、短期バイトをしながら相変わらず春、夏、秋にアナウンスをさせて貰いました。その間、甲子園のウグイス嬢にも応募し、最終選考の2人にまで残りましたが、残念ながら採用されませんでした。
それでも、アナウンサーを辞める気など、かけらも湧きませんでしたね。
その後、結婚を機に愛知県に拠点を移し、愛知で、そして三重県でも高校野球の現場でアナウンスをさせて貰えることになりました。その頃ですね、藤生代表と出会いました。何度も現場で一緒になって。互いに教え合ったり、冗談言い合ったりして。今ではいい思い出です」

 

「対戦カードに関わらず、どの試合もどこかに感動するポイントがあります。でも、感動し過ぎると、困ることもあります。

今でも覚えているのが、甲子園予選の決勝戦で、大逆転の末、決着がついたときのこと。
泣き崩れる選手たちを見て、思わずもらい泣きしそうになってしまったのです。このままだと声が震えてしまう。咄嗟に顔を伏せながらアナウンスしました。本来は、グランド見ながらアナウンスのタイミングを計るのですが、見るとマズイことになります(笑) グランド内の気配を感じ、チラ見しながらのアナウンスでした」

年前からベースボールプランニングに所属、キャストとしてはもちろん、講師としても頼られる存在です。

「自分が会得するのに長い年月がかかりましたから、いかに最短で理解してもらえか工夫しています。
また、現場でしか得られない、気づきを伝えるようにしています。
積み上げてきた物をそんな易々と教えていいのか、ですか? もちろんです!(笑) 
藤生代表が一生懸命に作り上げてきた会社の名に恥じないキャストを育てたいと思っています」

 

「授業では必ず、❛キチンと伝わるアナウンスを心がけましょう❜、と言います。
アナウンスは、内容が聴衆に伝わってこそ。が、はじめはどうしても、上手く聞かせたいとするあまり、講師の個性を真似ようと意識がいくようです。例えば、車の移動をお願いするアナウンスなら、伝えたいことは、車を移動して欲しいことと、その車の車種やナンバーですよね。そこを強調しなければ。キチンと伝わる=要点が伝わる、それが上手なアナウンスです。そのキチンと伝わるアナウンスの方法やコツを、授業で教えています」

校野球や学生野球を中心にキャリアを積んできた佐藤さんですが、ベースボールプランニングに所属してからは、社会人野球という新たなジャンルへも場を広げています。ベテランの域に入ってもなお、挑戦する姿勢を崩しません。

「野球はジャンルが違えば、アナウンスが変わります。バッターコール一つとっても、高校野球なら打順、守備、選手名のみが、社会人だと、これに、出身校や背番号を加えて言います。ちょっとしたことのように見えて、実は、かなり難しい。
凄く神経を遣います。
私の実感としては、社会人野球の場合、特に都市対抗などの全国大会では、全国各地のアナウンサーが集まってくるので、統一感がまだないように思います。ですから、口調とかスピード感など、何がベストなのか、目下、研究中です。」

 

「いつまでやり続けるのかと問われれば、体力が続く限り、と答えます。まだやってみたいジャンルもありますし。それが何かは内緒ですけど(笑) 一方で、この試合が最後、これが引退だと思って現場に臨むのが私のモットー。
今から行われる試合は、私にとってかけがえのない最後の試合、常にそう思い、これからも心を込めてアナウンスをしていきます」

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相手あっての仕事、好きだけでは決して続けてこられなかったのは想像に難くありません
。それなのに、努力してきたことを決して大っぴらに見せびらかせない佐藤さん。
これこそが、プロなのだと思いました。これからも、新たな道をどんどん作っていって欲しいです。

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